コリント人への第二の手紙 12:2-16
コリント人への第二の手紙 12:2-16 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。 この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである―― パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。 わたしはこういう人について誇ろう。しかし、わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい。 もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないだろう。しかし、それはさし控えよう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。 そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。 このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。 わたしは愚か者となった。あなたがたが、むりにわたしをそうしてしまったのだ。実際は、あなたがたから推薦されるべきであった。というのは、たといわたしは取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちにはなんら劣るところがないからである。 わたしは、使徒たるの実を、しるしと奇跡と力あるわざとにより、忍耐をつくして、あなたがたの間であらわしてきた。 いったい、あなたがたが他の教会よりも劣っている点は何か。ただ、このわたしがあなたがたに負担をかけなかったことだけではないか。この不義は、どうか、ゆるしてもらいたい。 さて、わたしは今、三度目にあなたがたの所に行く用意をしている。しかし、負担はかけないつもりである。わたしの求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身なのだから。いったい、子供は親のために財をたくわえて置く必要はなく、親が子供のためにたくわえて置くべきである。 そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、また、わたし自身をも使いつくそう。わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、あなたがたからますます愛されなくなるのであろうか。 わたしは、あなたがたに重荷を負わせなかったとしても、悪がしこくて、あなたがたからだまし取ったのだと、人は言う。
コリント人への第二の手紙 12:2-16 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた-それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。 この人が-それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである- パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。 わたしはこういう人について誇ろう。しかし、わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい。 もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないだろう。しかし、それはさし控えよう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。 そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。 このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。 わたしは愚か者となった。あなたがたが、むりにわたしをそうしてしまったのだ。実際は、あなたがたから推薦されるべきであった。というのは、たといわたしは取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちにはなんら劣るところがないからである。 わたしは、使徒たるの実を、しるしと奇跡と力あるわざとにより、忍耐をつくして、あなたがたの間であらわしてきた。 いったい、あなたがたが他の教会よりも劣っている点は何か。ただ、このわたしがあなたがたに負担をかけなかったことだけではないか。この不義は、どうか、ゆるしてもらいたい。 さて、わたしは今、三度目にあなたがたの所に行く用意をしている。しかし、負担はかけないつもりである。わたしの求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身なのだから。いったい、子供は親のために財をたくわえて置く必要はなく、親が子供のためにたくわえて置くべきである。 そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、また、わたし自身をも使いつくそう。わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、あなたがたからますます愛されなくなるのであろうか。 わたしは、あなたがたに重荷を負わせなかったとしても、悪がしこくて、あなたがたからだまし取ったのだと、人は言う。
コリント人への第二の手紙 12:2-16 リビングバイブル (JCB)
十四年前、私は天に引き上げられました。肉体のままか、それとも霊だけなのかとは聞かないでください。私にはわからないのです。答えられるのは、神おひとりです。しかしいずれにしても、私はパラダイスに引き上げられたのです。 そこで、人間にはとうてい表現できない、驚くべきことを耳にしました。 こんな経験こそ、自慢するに値します。しかし、自慢しようとは思いません。私が誇ろうとしているのは、自分の弱さと、そして、こんなに弱い私を、ご自分の栄光のために使ってくださる神の偉大さだけです。 私には誇るべきことがたくさんあるのですから、たとい誇っても、愚か者にはならないでしょう。しかし私は、だれにも、私の生活やことばから実際に見聞きする以上に、私を買いかぶってほしくないのです。 その経験があまりにすばらしかったので、神様は、私が高ぶってはいけないと心を配られました。それで、肉体に一つのとげを与えられたのです。それは、高慢にならないように苦痛を与え、悩ませるためのサタンの使いです。 私は、もとどおりに回復させてくださいと、三度も神にお願いしました。 そのつど返ってくる答えは、こうでした。「いや、治すまい。しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。」だから今では、私は自分の弱さを喜んで誇ります。自分の力や才能を見せびらかすためではなく、喜んでキリストの証人になりたいからです。 すべてはキリストのためであることを知っているので、その「とげ」も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいます。なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからです。――無力であればあるほど、それだけ、キリストによりすがるようになるからです。 あなたがたは結局、私を、自慢ばかりする愚か者にしてしまいました。ほんとうは、こんなに私に書かせるべきではなく、あなたがたが私のことを書くべきなのです。たとえ私が全く価値のない者であるとしても、あの「大使徒たち」と比べて劣る点はありません。 私はあなたがたのところで、自分がほんとうに神から遣わされた使徒である証拠を、すべて明示したではありませんか。多くの驚くべきこと、しるし、力ある働きを忍耐強く行ったのです。 私がほかのどの教会の場合とも違って、あなたがたにはしなかったことが一つだけあります。それは、負担をかけなかったことです。食べ物や住む場所のことで、何一つ世話をかけませんでした。この不公平については、どうか赦してください。 今、私はあなたがたのところに行こうと、三度目の計画を立てています。今度も、あなたがたには負担をかけないつもりです。私がほしいのはお金ではなく、あなたがた自身だからです。いずれにしても、あなたがたは私の子どもです。小さな子どもは親を食べさせる必要はありません。その逆です。親が子どもを食べさせるのです。 私はあなたがたの魂を養うためなら、喜んで自分自身でも持ち物でも、すべて差し出します。たとえ、私が愛すれば愛するほど、もっとうとまれるようになってもそうします。 あなたがたの中には、こう言っている人がいます。「確かに、パウロは来ても何の負担もかけなかったように見えるが、あいつは卑劣だから、きっと陰で金をまきあげていたに違いない。」
コリント人への第二の手紙 12:2-16 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。 わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。 彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。 このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。 仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、 また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。 この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。 わたしは愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです。わたしが、あなたがたから推薦してもらうべきだったのです。わたしは、たとえ取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちに比べて少しも引けは取らなかったからです。 わたしは使徒であることを、しるしや、不思議な業や、奇跡によって、忍耐強くあなたがたの間で実証しています。 あなたがたが他の諸教会よりも劣っている点は何でしょう。わたしが負担をかけなかったことだけではないですか。この不当な点をどうか許してほしい。 わたしはそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。わたしが求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです。 わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。あなたがたを愛すれば愛するほど、わたしの方はますます愛されなくなるのでしょうか。 わたしが負担をかけなかったとしても、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったということになっています。