列王記下 16:2-20

列王記下 16:2-20 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

アハズは王となった時二十歳で、エルサレムで十六年の間、世を治めたが、その神、主の目にかなう事を先祖ダビデのようには行わなかった。 彼はイスラエルの王たちの道に歩み、また主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべきおこないにしたがって、自分の子を火に焼いてささげ物とした。 かつ彼は高き所、また丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた。 そのころ、スリヤの王レヂンおよびレマリヤの子であるイスラエルの王ペカがエルサレムに攻め上って、アハズを囲んだが、勝つことができなかった。 その時エドムの王はエラテを回復してエドムの所領とし、ユダの人々をエラテから追い出した。そしてエドムびとがエラテにきて、そこに住み、今日に至っている。 そこでアハズは使者をアッスリヤの王テグラテピレセルにつかわして言わせた、「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です。スリヤの王とイスラエルの王がわたしを攻め囲んでいます。どうぞ上ってきて、彼らの手からわたしを救い出してください」。 そしてアハズは主の宮と王の家の倉にある金と銀をとり、これを贈り物としてアッスリヤの王におくったので、 アッスリヤの王は彼の願いを聞きいれた。すなわちアッスリヤの王はダマスコに攻め上って、これを取り、その民をキルに捕え移し、またレヂンを殺した。 アハズ王はアッスリヤの王テグラテピレセルに会おうとダマスコへ行ったが、ダマスコにある祭壇を見たので、アハズ王はその祭壇の作りにしたがって、その詳しい図面と、ひな型とを作って、祭司ウリヤに送った。 そこで祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから送ったものにしたがって祭壇を建てた。すなわち祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから帰るまでにそのとおりに作った。 王はダマスコから帰ってきて、その祭壇を見、祭壇に近づいてその上に登り、 燔祭と素祭を焼き、灌祭を注ぎ、酬恩祭の血を祭壇にそそぎかけた。 彼はまた主の前にあった青銅の祭壇を宮の前から移した。すなわちそれを新しい祭壇と主の宮の間から移して、新しい祭壇の北の方にすえた。 そしてアハズ王は祭司ウリヤに命じて言った、「朝の燔祭と夕の素祭および王の燔祭とその素祭、ならびに国中の民の燔祭とその素祭および灌祭は、この大きな祭壇の上で焼きなさい。また燔祭の血と犠牲の血はすべてこれにそそぎかけなさい。あの青銅の祭壇をわたしは伺いを立てるのに用いよう」。 祭司ウリヤはアハズ王がすべて命じたとおりにおこなった。 またアハズ王は台の鏡板を切り取って、洗盤をその上から移し、また海をその下にある青銅の牛の上からおろして、石の座の上にすえ、 また宮のうちに造られていた安息日用のおおいのある道、および王の用いる外の入口をアッスリヤの王のために主の宮から除いた。 アハズのその他の事績は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。 アハズは先祖たちと共に眠って、ダビデの町にその先祖たちと共に葬られ、その子ヒゼキヤが代って王となった。

列王記下 16:2-20 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

アハズは王となった時二十歳で、エルサレムで十六年の間、世を治めたが、その神、主の目にかなう事を先祖ダビデのようには行わなかった。 彼はイスラエルの王たちの道に歩み、また主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべきおこないにしたがって、自分の子を火に焼いてささげ物とした。 かつ彼は高き所、また丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた。 そのころ、スリヤの王レヂンおよびレマリヤの子であるイスラエルの王ペカがエルサレムに攻め上って、アハズを囲んだが、勝つことができなかった。 その時エドムの王はエラテを回復してエドムの所領とし、ユダの人々をエラテから追い出した。そしてエドムびとがエラテにきて、そこに住み、今日に至っている。 そこでアハズは使者をアッスリヤの王テグラテピレセルにつかわして言わせた、「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です。スリヤの王とイスラエルの王がわたしを攻め囲んでいます。どうぞ上ってきて、彼らの手からわたしを救い出してください」。 そしてアハズは主の宮と王の家の倉にある金と銀をとり、これを贈り物としてアッスリヤの王におくったので、 アッスリヤの王は彼の願いを聞きいれた。すなわちアッスリヤの王はダマスコに攻め上って、これを取り、その民をキルに捕え移し、またレヂンを殺した。 アハズ王はアッスリヤの王テグラテピレセルに会おうとダマスコへ行ったが、ダマスコにある祭壇を見たので、アハズ王はその祭壇の作りにしたがって、その詳しい図面と、ひな型とを作って、祭司ウリヤに送った。 そこで祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから送ったものにしたがって祭壇を建てた。すなわち祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから帰るまでにそのとおりに作った。 王はダマスコから帰ってきて、その祭壇を見、祭壇に近づいてその上に登り、 燔祭と素祭を焼き、灌祭を注ぎ、酬恩祭の血を祭壇にそそぎかけた。 彼はまた主の前にあった青銅の祭壇を宮の前から移した。すなわちそれを新しい祭壇と主の宮の間から移して、新しい祭壇の北の方にすえた。 そしてアハズ王は祭司ウリヤに命じて言った、「朝の燔祭と夕の素祭および王の燔祭とその素祭、ならびに国中の民の燔祭とその素祭および灌祭は、この大きな祭壇の上で焼きなさい。また燔祭の血と犠牲の血はすべてこれにそそぎかけなさい。あの青銅の祭壇をわたしは伺いを立てるのに用いよう」。 祭司ウリヤはアハズ王がすべて命じたとおりにおこなった。 またアハズ王は台の鏡板を切り取って、洗盤をその上から移し、また海をその下にある青銅の牛の上からおろして、石の座の上にすえ、 また宮のうちに造られていた安息日用のおおいのある道、および王の用いる外の入口をアッスリヤの王のために主の宮から除いた。 アハズのその他の事績は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。 アハズは先祖たちと共に眠って、ダビデの町にその先祖たちと共に葬られ、その子ヒゼキヤが代って王となった。

列王記下 16:2-20 リビングバイブル (JCB)

アハズは、先祖ダビデのようには、主の前に正しくありませんでした。 それどころか、彼はイスラエルの歴代の王のように偶像礼拝を行い、イスラエルの民がこの地に入った時に主が滅ぼされた国々の異教の風習にならい、焼き尽くすいけにえとしてわが子を神々にささげることまでしました。 このほかにも、高台の礼拝所や繁った木の下の祭壇でいけにえをささげたり、香をたいたりしました。 そのころ、シリヤ(アラム)の王レツィンとイスラエルの王ペカの連合軍がユダに宣戦布告し、エルサレムを包囲しましたが、町を占領することはできませんでした。 それでも、レツィン王はエラテの町を取り戻し、ユダの人々を追い出して、シリヤ人を移住させました。今もそのままです。 アハズ王はアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに使者を送り、援軍を要請しました。 このため、神殿や宮殿の宝物倉にあった金銀を贈り物として差し出したので、 アッシリヤの王はシリヤの首都ダマスコを攻撃し、住民を捕虜としてキルに連れ去り、レツィン王を殺しました。 アハズ王は、ティグラテ・ピレセル王に会うためダマスコへ行き、そこで、異教の神殿にある見慣れない祭壇に目を留めました。さっそくその寸法を書き留めて図面を作り、くわしい説明書きとともに、それを祭司ウリヤに送りました。 ウリヤは指示されたとおりに祭壇を築き、王のために準備しました。王は、ダマスコから帰るとすぐに、いけにえをささげました。 祭壇の上に、焼き尽くすいけにえと穀物の供え物とをささげ、さらに注ぎのささげ物を注いでから、和解のいけにえの血を振りかけました。 それから、これまで神殿の入口にあった青銅の祭壇を、神殿の正面から新しい祭壇の北側に移し替えました。 王は祭司ウリヤに、新しい祭壇の上で、朝ごとにささげる焼き尽くすいけにえと夕べの穀物の供え物、王の焼き尽くすいけにえと穀物の供え物、民のささげ物、および、これらに添える注ぎのささげ物をささげるように命じました。焼き尽くすいけにえや他のいけにえの血も、新しい祭壇に振りかけられました。王が、「古い青銅の祭壇は、私が個人的に伺いを立てるために使おう」と言ったので、古い祭壇はもっぱら占い用に使うことになりました。 祭司ウリヤは、王の命令どおりにしました。 それから王は、神殿にあった車輪つきの台を解体し、横木とその上に載せてあった洗盤を取りはずしました。また、青銅の牛の背に載せてあった大洗盤を下ろして、敷石の上に置きました。 さらに、アッシリヤ王に敬意を表して、宮殿と神殿との間にしつらえた祝祭用の通路を取りはずしました。 アハズ王のその他の業績は、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。 王は死んで、エルサレムの旧市街、ダビデの町の王室墓地に葬られ、その子ヒゼキヤが王となりました。

列王記下 16:2-20 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

アハズは二十歳で王となり、十六年間エルサレムで王位にあった。彼は父祖ダビデと異なり、自分の神、主の目にかなう正しいことを行わなかった。 彼はイスラエルの王たちの道を歩み、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣って、自分の子に火の中を通らせることさえした。 彼は聖なる高台、丘の上、すべての茂った木の下でいけにえをささげ、香をたいた。 そのころ、アラムの王レツィンとイスラエルの王、レマルヤの子ペカがエルサレムを攻めようとして上って来た。彼らはアハズを包囲したが、戦いを仕掛けることができなかった。 このとき、アラムの王レツィンはエイラトを取り戻してアラムのものとし、ユダの人々をエイラトから追い出した。その後エドム人がエイラトに来て住み着き、今日に至っている。 アハズはアッシリアの王ティグラト・ピレセルに使者を遣わして言わせた。「わたしはあなたの僕、あなたの子です。どうか上って来て、わたしに立ち向かうアラムの王とイスラエルの王の手から、わたしを救い出してください。」 アハズはまた主の神殿と王宮の宝物庫にある銀と金を取り出し、アッシリアの王に贈り物として送った。 アッシリアの王はその願いを聞き入れた。アッシリアの王はダマスコに攻め上ってこれを占領し、その住民を捕虜としてキルに移し、レツィンを殺した。 アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに会おうとしてダマスコに行き、ダマスコにある祭壇を見た。アハズ王が祭司ウリヤにその祭壇の見取り図とその詳しい作り方の説明書を送ったので、 祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから送って来たものそっくりに祭壇を築いた。しかも祭司ウリヤは王がダマスコから帰って来るまでにそれを仕上げた。 王はダマスコから帰って来て、その祭壇を見た。王はその祭壇に近づいて、その上で献げ物をささげ、 その上で焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物を燃やして煙にし、ぶどう酒の献げ物を注ぎ、自分のための和解の献げ物の血を祭壇に振りかけた。 主の御前にあった青銅の祭壇は、神殿の前から、すなわち新しい祭壇と主の神殿の間から移して、新しい祭壇の北側に据えた。 アハズ王は祭司ウリヤにこう命じた。「この大きな祭壇の上で、朝の焼き尽くす献げ物と夕べの穀物の献げ物、王の焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物、すべての国の民の焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物を燃やして煙にし、ぶどう酒の献げ物を注げ。また焼き尽くす献げ物の血とほかの献げ物の血をすべてこの祭壇に振りかけよ。あの青銅の祭壇はわたしが伺いを立てるのに用いる。」 祭司ウリヤはすべてアハズ王が命じたとおりに行った。 アハズ王は台車の鏡板を切り離し、台車の上から洗盤を取り外し、また「海」をその支えになっていた青銅の牛の上から降ろし、敷石の上に置いた。 彼はまたアッシリアの王のために、神殿の中に建てられている安息日用の廊と外側にある王の入り口を主の神殿から取り除いた。 アハズの行った他の事績は、『ユダの王の歴代誌』に記されている。 アハズは先祖と共に眠りにつき、ダビデの町に先祖と共に葬られた。その子ヒゼキヤがアハズに代わって王となった。