ガラテヤ人への手紙 3:7-12
ガラテヤ人への手紙 3:7-12 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。 律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。
ガラテヤ人への手紙 3:7-12 リビングバイブル (JCB)
このことから、心から神に信頼する人はだれでも、アブラハムの真の子孫となることができるのです。 聖書は、信仰を持った外国人が救われる時のことを予告してきました。神様がずっと昔、アブラハムに、「どこの国の人であろうと、あなたのようにわたしを信頼する人を祝福しよう」と宣言されたのは、このことを意味していたのです。 そういうわけで、キリストに信頼する人はみな、アブラハムと共に祝福をいただくのです。 律法の行いに頼って救われようとする者は、神にのろわれます。なぜなら、聖書には、「神の律法の書にあることばを一つでも破る者は、のろわれる」とはっきり書いてあるからです。 したがって、律法によってはだれ一人、神の恵みを受けることはできないわけです。神の前で正しい者と認められる道は信仰による以外にない、と神様は言っておられます。預言者ハバククが、「正しい人は信仰によって生きる」と語ったとおりです。 この信仰による道は、律法の行いによる道とはなんと違うことでしょう。律法による道は、律法を一つ残らず完全に守ることによって救われる、と教えているのですから。
ガラテヤ人への手紙 3:7-12 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。 聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。 それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。 律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。 律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。 律法は、信仰をよりどころとしていません。「律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる」のです。
ガラテヤ人への手紙 3:7-12 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。 律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。