エレミヤ書 17:1-12

エレミヤ書 17:1-12 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

「ユダの罪は、鉄の筆、金剛石のとがりをもってしるされ、彼らの心の碑と、祭壇の角に彫りつけられている。 彼らの子供たちは青木の下と、高い丘の上、野の山の上にある祭壇とアシラのことを覚えている。 わたしはあなたの富とすべての宝とを、あなたの全領域の内で犯した罪の代価として、ぶんどり物とならせる。 わたしがあなたに与えた嗣業からあなたは手をはなすようになる。またわたしは、あなたの知らない地で、あなたの敵に仕えさせる。わたしの怒りによって、火は点じられ、いつまでも燃え続けるからである」。 主はこう言われる、「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。 彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地にいる。 おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。 彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」。 心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。 「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」。 しゃこが自分が産んだのではない卵を抱くように、不正な財産を得る者がある。その人は一生の半ばにそれから離れて、その終りには愚かな者となる。 初めから高くあげられた栄えあるみ座は、われわれの聖所のある所である。

エレミヤ書 17:1-12 リビングバイブル (JCB)

鉄のペンかダイヤモンドの先端で、 石の心と祭壇の端に、 悪いおきてが刻み込まれているかのように、 わたしの民は罪を犯す。 若者でさえ罪を犯すことだけは忘れず、 木々の下で偶像を拝み、 高い山でも平地でも偶像に仕えている。 だから、おまえたちの全財産を、 罪に見合う代価として、敵に渡す。 こうして、わたしがおまえたちのために取っておいた すばらしい相続財産は、 おまえたちの手からこぼれ落ちる。 わたしはまた、おまえたちを奴隷として、 遠い敵国へ売り渡す。 それは、おまえたちが、 いったん燃えたら永久に消えないわたしの憤りに、 火をつけたからだ。」 主はこう告げます。 「いつかは死ぬ人間を頼りとし、 心が神から離れている者は、のろわれる。 そのような者には、荒野の乾いた灌木のように、 将来の希望など少しもない。 古き良き時代から永久に見放された彼は、 草木も生えない、塩分の多い荒野に住む。 だがわたしを頼りとし、わたしを望みとする者は、 祝福される。 彼は川の土手に沿って植えられた木のように、 深く張った根で川から直接水分を吸収するので、 暑さにもしおれず、長いかんばつでも弱らない。 葉はいつも青々と茂り、 みずみずしくおいしい実をつける。 人の心は何より欺きやすく、芯まで腐っている。 それがどんなに悪質であるか、 だれにもわからない。 ただわたしだけが人の心を知っていて、 隅々まで探り、 一番奥に隠された動機までわかる。 そして、一人一人に それぞれの生き方に応じた報いを与える。 自分でかえさなかったひな鳥を抱く鳥は、 やがて、そのひなに逃げられる。 不正な手段で富を手に入れる者も同じだ。 遅かれ早かれ富を失い、結局は哀れなばか者になる。」 私たちの逃げ場は、 永遠の栄光に輝く、高くあげられた神の御座です。

エレミヤ書 17:1-12 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

ユダの罪は 心の板に、祭壇の角に 鉄のペンで書きつけられ ダイヤモンドのたがねで刻み込まれて 子孫に銘記させるものとなる。 それらは彼らの祭壇であり、アシェラ像である。 それらは、どの緑の木の下にも 高い丘、野の山の上にもある。 野から山に登る者よ。 わたしはお前の富と宝を お前の聖なる高台での罪のゆえに 至るところで、敵が奪うにまかせる。 わたしが継がせた嗣業をお前は失う。 また、お前を敵の奴隷とし お前の知らない国に行かせる。 わたしの怒りによって火が点じられ とこしえに燃え続ける。 主はこう言われる。 呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし その心が主を離れ去っている人は。 彼は荒れ地の裸の木。 恵みの雨を見ることなく 人の住めない不毛の地 炎暑の荒れ野を住まいとする。 祝福されよ、主に信頼する人は。 主がその人のよりどころとなられる。 彼は水のほとりに植えられた木。 水路のほとりに根を張り 暑さが襲うのを見ることなく その葉は青々としている。 干ばつの年にも憂いがなく 実を結ぶことをやめない。 人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。 誰がそれを知りえようか。 心を探り、そのはらわたを究めるのは 主なるわたしである。 それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。 しゃこが自分の産まなかった卵を集めるように 不正に富をなす者がいる。 人生の半ばで、富は彼を見捨て ついには、神を失った者となる。 栄光の御座、いにしえよりの天 我らの聖所、

エレミヤ書 17:1-12 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

「ユダの罪は、鉄の筆、金剛石のとがりをもってしるされ、彼らの心の碑と、祭壇の角に彫りつけられている。 彼らの子供たちは青木の下と、高い丘の上、野の山の上にある祭壇とアシラのことを覚えている。 わたしはあなたの富とすべての宝とを、あなたの全領域の内で犯した罪の代価として、ぶんどり物とならせる。 わたしがあなたに与えた嗣業からあなたは手をはなすようになる。またわたしは、あなたの知らない地で、あなたの敵に仕えさせる。わたしの怒りによって、火は点じられ、いつまでも燃え続けるからである」。 主はこう言われる、 「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、 その心が主を離れている人は、のろわれる。 彼は荒野に育つ小さい木のように、 何も良いことの来るのを見ない。 荒野の、干上がった所に住み、 人の住まない塩地にいる。 おおよそ主にたより、 主を頼みとする人はさいわいである。 彼は水のほとりに植えた木のようで、 その根を川にのばし、 暑さにあっても恐れることはない。 その葉は常に青く、 ひでりの年にも憂えることなく、 絶えず実を結ぶ」。 心はよろずの物よりも偽るもので、 はなはだしく悪に染まっている。 だれがこれを、よく知ることができようか。 「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。 おのおのに、その道にしたがい、 その行いの実によって報いをするためである」。 しゃこが自分が産んだのではない卵を抱くように、 不正な財産を得る者がある。 その人は一生の半ばにそれから離れて、 その終りには愚かな者となる。 初めから高くあげられた栄えあるみ座は、 われわれの聖所のある所である。