ヨブ 記 22:1-21

ヨブ 記 22:1-21 JCB

エリファズの再度の演説。 「人は少しでも神の役に立つことがあるのだろうか。 最高の知恵者でさえ、自分の役に立つだけだ。 あなたが正しいからといって、全能者は喜ぶだろうか。 あなたが完全だからといって、 神の得になるだろうか。 罰を受けているのは、あなたが正しいからだろうか。 とんでもない。悪いからこそ罰せられるのだ。 あなたの罪は底なしなのだ。 あなたは、相手の着ている物を みな担保に取らなければ、 困っている友人に金を貸さなかったのではないか。 彼らから身ぐるみはぎ取ったに違いない。 のどが渇ききっている者にも水を飲ませず、 飢えている者にもパンを与えなかったに違いない。 ところが、権力者には欲しい物は何でもくれてやり、 金持ちには好きな所に住まわせた。 気の毒な未亡人を手ぶらで追い返し、 みなしごの腕をへし折った。 だから今、突然の恐れに取りつかれ、 暗闇と戦慄の波にのまれるのだ。 神は、天や星よりも高い所にいる偉大なお方だ。 ところが、あなたは言う。 『だから神には、私のしていることが見えないのだ。 暗闇が覆っているのに、 正しいさばきなどできるわけがない。 黒雲に取り巻かれて、神には何も見えない。 神は、はるかかなたの空の上を、 のんびり散歩しているだけなのだから。』 昔ながらの罪の道を歩いている者は早死にし、 その人生の土台は押し流されることがわからないのか。 彼らは神に言った。 『じゃまだから離れてくれ。 全能者と言っているのに、 何の役にも立たないではないか。』 私だったら、口が裂けてもこんなことは言えない。 彼らは、神が良い物をいっぱい下さったことを 忘れている。 そこで今度は、 正しい者が悪者の滅びるのを眺める番だ。 潔白な者は悪者をあざけり笑う。 彼らは口々に言う。 『見るがいい。敵の最後の一人が火で滅ぼされた。』 神に口答えするのはやめることだ。 いさぎよく和解することだ。 そうしたら、心に安らぎが訪れる。 間違っていたことを素直に認めれば、 神のいつくしみがある。