歴代誌上 11:4-47
歴代誌上 11:4-47 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
ダビデとすべてのイスラエルはエルサレムへ行った。エルサレムはすなわちエブスであって、そこにはその地の住民であるエブスびとがいた。 エブスの住民はダビデに言った、「あなたはここにはいってはならない」。しかし、ダビデはシオンの要害を取った。これがすなわちダビデの町である。 この時ダビデは言った、「だれでも第一にエブスびとを撃つ者を、かしらとし、将とする」。ゼルヤの子ヨアブが第一にのぼっていったので、かしらとなった。 そしてダビデがその要害に住んだので人々はこれをダビデの町と名づけた。 ダビデはまたその町の周囲すなわちミロから四方に石がきを築き、ヨアブは町のほかの部分を繕った。 こうしてダビデはますます大いなる者となった。万軍の主が彼とともにおられたからである。 ダビデの勇士のおもなものは次のとおりである。彼らはイスラエルのすべての人とともにダビデに力をそえて国を得させ、主がイスラエルについて言われた言葉にしたがって、彼を王とした人々である。 ダビデの勇士の数は次のとおりである。すなわち三人の長であるハクモニびとの子ヤショベアム、彼はやりをふるって三百人に向かい、一度にこれを殺した者である。 彼の次はアホアびとドドの子エレアザルで、三勇士のひとりである。 彼はダビデとともにパスダミムにいたが、ペリシテびとがそこに集まって来て戦った。そこに一面に大麦のはえた地所があった。民はペリシテびとの前から逃げた。 しかし彼は地所の中に立ってこれを防ぎ、ペリシテびとを殺した。そして主は大いなる勝利を与えて彼らを救われた。 三十人の長たちのうちの三人は下っていってアドラムのほらあなの岩の所にいるダビデのもとへ行った。時にペリシテびとの軍勢はレパイムの谷に陣を取っていた。 その時ダビデは要害におり、ペリシテびとの先陣はベツレヘムにあったが、 ダビデはせつに望んで、「だれかベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をわたしに飲ませてくれるとよいのだが」と言った。 そこでその三人はペリシテびとの陣を突き通って、ベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をくみ取って、ダビデのもとに携えて来た。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主の前に注いで、 言った、「わが神よ、わたしは断じてこれをいたしません。命をかけて行ったこの人たちの血をどうしてわたしは飲むことができましょう。彼らは命をかけてこの水をとって来たのです」。それゆえ、ダビデはこの水を飲もうとはしなかった。三勇士はこのことをおこなった。 ヨアブの兄弟アビシャイは三十人の長であった。彼はやりをふるって三百人に立ち向かい、これを殺して三人のほかに名を得た。 彼は三十人のうち、最も尊ばれた者で、彼らのかしらとなった。しかし、かの三人には及ばなかった。 エホヤダの子ベナヤは、カブジエル出身の勇士であって、多くのてがらを立てた。彼はモアブのアリエルのふたりの子を撃ち殺した。彼はまた雪の日に下っていって、穴の中でししを撃ち殺した。 彼はまた身のたけ五キュビトばかりのエジプトびとを撃ち殺した。そのエジプトびとは手に機の巻棒ほどのやりを持っていたが、ベナヤはつえをとって彼の所へ下って行き、エジプトびとの手から、やりをもぎとり、そのやりをもって彼を殺した。 エホヤダの子ベナヤは、これらの事を行って三勇士のほかに名を得た。 彼は三十人のうちに有名であったが、かの三人には及ばなかった。ダビデは彼を侍衛の長とした。 軍団のうちの勇士はヨアブの兄弟アサヘル。ベツレヘム出身のドドの子エルハナン。 ハロデ出身のシャンマ。ペロンびとヘレヅ。 テコア出身のイッケシの子イラ。アナトテ出身のアビエゼル。 ホシャテびとシベカイ。アホアびとイライ。 ネトパ出身のマハライ。ネトパ出身のバアナの子ヘレデ。 ベニヤミンびとのギベアから出たリバイの子イタイ。ピラトンのベナヤ。 ガアシの谷のホライ。アルバテびとアビエル。 バハルム出身のアズマウテ。シャルボン出身のエリヤバ。 ギゾンびとハセム。ハラルびとシャゲの子ヨナタン。 ハラルびとサカルの子アヒアム。ウルの子エリパル。 メケラテびとヘペル。ペロンびとアヒヤ。 カルメル出身のヘズロ。エズバイの子ナアライ。 ナタンの兄弟ヨエル。ハグリの子ミブハル。 アンモンびとゼレク。ゼルヤの子ヨアブの武器を執るもの、ベエロテ出身のナハライ。 イテルびとイラ。イテルびとガレブ。 ヘテびとウリヤ。アハライの子ザバデ。 ルベンびとシザの子アデナ。彼はルベンびとの長であって、三十人を率いた。 またマアカの子ハナン。ミテニびとヨシャパテ。 アシテラテびとウジヤ。アロエルびとホタムの子らシャマとエイエル。 テジびとシムリの子エデアエルおよびその兄弟ヨハ。 マハブびとエリエル。エルナアムの子らエリバイおよびヨシャビヤ。モアブびとイテマ。 エリエル、オベデおよびメゾバびとヤシエルである。
歴代誌上 11:4-47 リビングバイブル (JCB)
ダビデとイスラエルの指導者たちは、エブスとも呼ばれていたエルサレムへ行きました。そこには、その地の住民エブス人が住んでいました。 エブス人は彼らが町に入ることを断ったので、ダビデは、のちにダビデの町と呼ばれるようになったシオンの要塞を占領しました。その時、ダビデはイスラエルの指導者に、「真っ先にエブス人を殺した者をかしらとしよう」と約束しました。ツェルヤの子ヨアブが真っ先にエブス人を殺し、ダビデの軍隊の将軍になりました。 以来、ダビデはこの要塞に住んだので、エルサレムのこの一角が、ダビデの町と呼ばれたのです。 ダビデは要塞の周辺まで町を広げましたが、町の残りの部分を再建したのはヨアブでした。 主が共におられたので、ダビデの名声はいよいよ高まり、勢力を増していきました。 ダビデの勇士の中で最も勇敢であった人々は次のとおりです。彼らは、主のことばどおり、イスラエルの指導者たちを助けて、ダビデをイスラエルの王とした人たちです。 まず、ハクモニ人の子ヤショブアムは三勇士の筆頭でした。彼は、一度に槍で三百人を殺したことがありました。 三勇士の第二は、アホアハ氏族に属するドドの子エルアザルです。 彼はペリシテ人と戦った時、王とともにパス・ダミムにいました。大麦畑に隠れていたイスラエル軍が逃げ始めた時、 彼は最後まで踏みとどまり、味方を立ち直らせてペリシテ人を倒しました。そして主が、イスラエルに大勝利をもたらしてくださったのです。 ある時、三十人の勇士のうちのこの三人が、アドラムのほら穴に身をひそめていたダビデのもとに来ました。ペリシテ人はレファイムの谷に陣を張っていました。 その時、ダビデは要塞におり、ペリシテ人の前哨部隊はベツレヘムを支配していました。 ダビデがベツレヘムの城門のそばにある井戸の水を飲みたいと家来にもらした時、 この三人はペリシテ人の陣営を突破してその井戸から水をくみ、ダビデのところへ持ち帰ったのです。ところがダビデは、その水を飲もうとしないばかりか、それを神へのささげ物として注ぎかけ、言いました。「これを飲むことは許されない。いのちをかけて運んで来た、三人の勇士の血に等しいものだ。」 ヨアブの兄弟アブシャイは、三十人の勇士の指揮官でした。彼は一度に槍で三百人を殺し、三十人の仲間に加えられました。 アブシャイは彼らの中心で名高い人物でしたが、三勇士には及びませんでした。 カブツェエル出身の偉大な勇士を父に持つベナヤは、名うてのモアブの巨人二人を殺しました。また、ある雪の日に、すべりやすいほら穴に降りて行って、ライオンをしとめました。 またある時は、機織棒のように太い槍を持った、身長二・二メートルもあるエジプト人を打ち倒しました。その時、彼はたった一本の杖を手に相手に近づき、エジプト人から槍をもぎ取って、それで刺し殺したのです。 ベナヤはあの三勇士と同じくらい名が知れ、三十人の勇士の中でも特に高い評判を得ていたので、ダビデは彼を護衛長にしました。 ダビデの家来で、そのほか名高い勇士は次のとおり。ヨアブの兄弟のアサエル。ベツレヘム出身のドドの子エルハナン。ハロリ出身のシャモテ。ペロニ出身のヘレツ。テコア出身のイケシュの子のイラ。アナトテ出身のアビエゼル。フシャ出身のシベカイ。アホアハ出身のイライ。ネトファ出身のマフライ。ネトファ出身のバアナの子ヘレデ。ギブア出身のベニヤミン族で、リバイの子のイタイ。ピルアトン出身のベナヤ。ガアシュの谷近くの出身のフライ。アラバ出身のアビエル。バハルム出身のアズマベテ。シャアルビム出身のエルヤフバ。ギゾ出身のハシェムの子たち。ハラル出身のシャゲの子ヨナタン。ハラル出身のサカルの子アヒアム。ウルの子エリファル。メケラ出身のヘフェル。ペロニ出身のアヒヤ。カルメル出身のヘツロ。エズバイの子ナアライ。ナタンの兄弟ヨエル。ハグリの子ミブハル。アモン出身のツェレク。ヨアブ将軍のよろい持ちで、ベロテ出身のナフライ。エテル出身のイラ。エテル出身のガレブ。ヘテ人ウリヤ。アフライの子ザバデ。ルベン族の指導者三十一人に加わっていた、シザの子アディナ。マアカの子ハナン。ミテニ出身のヨシャパテ。アシュタロテ出身のウジヤ。ホタムの子で、アロエル出身のシャマとエイエル。シムリの子エディアエル。エディアエルの兄弟でティツ出身のヨハ。マハビム出身のエリエル。エルナアムの子エリバイとヨシャブヤ。モアブ出身のイテマ。エリエル。オベデ。メツォバヤ出身のヤアシエル。
歴代誌上 11:4-47 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
ダビデはすべてのイスラエル人と共にエルサレムに向かった。この町はエブスと言われ、エブス人がその地の住民であった。 エブスの住民はダビデに、「お前はここに入れまい」と言った。しかし、ダビデはシオンの要害を陥れた。これがダビデの町である。 ダビデは、「真っ先にエブス人を撃ち倒した者が頭となり、将軍となる」と言ったが、ツェルヤの子ヨアブが真っ先に攻め上って頭となった。 ダビデはこの要害に住んだ。それゆえ、それはダビデの町と呼ばれるようになった。 彼は町の周囲をミロから一周するまで築城して固め、ヨアブは町の他の部分を修復した。 ダビデは次第に勢力を増し、万軍の主は彼と共におられた。 ダビデの勇士の頭は次のとおりである。彼らはダビデの統治に協力し、イスラエルのすべての人々と共に、主がイスラエルに告げられたとおり、ダビデが王となるように尽力した。 ダビデの勇士たちの名簿は次のとおりである。ハクモニの子ヤショブアム、三十人隊の頭。槍を振るって一度に三百人を刺し殺した。 次にアホア人ドドの子エルアザル。三勇士の一人。 彼がダビデに同行してパス・ダミムにいたとき、ペリシテ人が集結して戦いを挑んできた。そこには豊作の大麦畑があった。民はペリシテ人を前にして逃走したが、 二人は畑にとどまってこれを救い、ペリシテ人を討った。主は大勝利をもたらされた。 三十人の頭の中の三人が、アドラムの洞窟にいるダビデを訪ねて岩山に来たことがあった。ペリシテ人の陣営がレファイムの谷に張られていた。 ダビデは要害におり、ペリシテ人の駐屯部隊はベツレヘムにいた。 ダビデは、「ベツレヘムの城門の傍らにある、あの井戸の水を飲ませてくれる者があればよいのに」と切望した。 三人はペリシテの陣を突破し、ベツレヘムの城門の傍らにある井戸から水をくみ、ダビデのもとに持ち帰った。ダビデはこの水を飲むことを望まず、注いで主にささげ、 こう言った。「わが神よ、わたしはこのようなことを決してすべきではありません。彼らは命をかけて持ってきてくれたのです。彼らの命のかかった血をわたしが飲むことができましょうか。」ダビデはその水を飲もうとしなかった。以上が三勇士の武勲である。 ヨアブの兄弟アブシャイ。三勇士の頭。槍を振るって三百人を刺し殺したが、三勇士の中に名はなかった。 三勇士の中の二人によって重んじられ、彼らの長でもあったが、武勲は三勇士に及ばなかった。 ヨヤダの子ベナヤ。勇士の子。カブツェエルの出身。多くの功を立てた。モアブのアリエルの二人の息子を討ち取り、雪の日に、洞穴に獅子を追って下り、それを殺した。 また彼は、身長が五アンマもある巨大なエジプト人をも殺した。エジプト人は機織りの巻き棒ほどもある槍を手にしていたが、ベナヤは棒を持って襲いかかり、エジプト人の手から槍を奪い、その槍でエジプト人を殺した。 以上がヨヤダの子ベナヤの武勲であり、三勇士と共に名をあげ、 三十人の中でも重んじられたが、武勲は三勇士に及ばなかった。ダビデは彼を護衛兵の長に任じた。 勇士たちは以下のとおりである。ヨアブの兄弟アサエル。ドドの子エルハナン、ベツレヘム出身。 ハロリ人シャモト。ペロニ人ヘレツ。 テコア人イケシュの子イラ。アナトト人アビエゼル。 フシャ人シベカイ。アホア人イライ。 ネトファ人マフライ。バアナの子ヘレド、ネトファ人。 リバイの子イタイ、ベニヤミンのギブア出身。ピルアトン人ベナヤ。 フライ、ガアシュ川の出身。アルバト人アビエル。 バフルム人アズマベト。シャアルボン人エルヤフバ。 ギゾニ人ハシェムの子ら。シャゲの子ヨナタン、ハラリ人。 サカルの子アヒアム、ハラリ人。ウルの子エリファル。 メケラティ人ヘフェル。ペロニ人アヒヤ。 カルメル人ヘツロ。エズバイの子ナアライ。 ナタンの兄弟ヨエル。ハグリの子ミブハル。 アンモン人ツェレク。ベエロト人ナフライ、ツェルヤの子ヨアブの武器を持つ者。 イエテル人イラ。イエテル人ガレブ。 ヘト人ウリヤ。アフライの子ザバド、 シザの子アディナ、ルベン族。彼はルベン族の頭で三十人を伴っていた。 マアカの子ハナン。ミトニ人ヨシャファト。 アシュタロト人ウジヤ。ホタムの子シャマとエイエル、アロエル人。 シムリの子エディアエル。その兄弟ヨハ、ティツ人。 マハビム人エリエル。エリバイとヨシャウヤ、エルナアムの子。モアブ人イトマ。 エリエル、オベド、ヤアシエル、メツォバヤ人。
歴代誌上 11:4-47 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
ダビデとすべてのイスラエルはエルサレムへ行った。エルサレムはすなわちエブスであって、そこにはその地の住民であるエブスびとがいた。 エブスの住民はダビデに言った、「あなたはここにはいってはならない」。しかし、ダビデはシオンの要害を取った。これがすなわちダビデの町である。 この時ダビデは言った、「だれでも第一にエブスびとを撃つ者を、かしらとし、将とする」。ゼルヤの子ヨアブが第一にのぼっていったので、かしらとなった。 そしてダビデがその要害に住んだので人々はこれをダビデの町と名づけた。 ダビデはまたその町の周囲すなわちミロから四方に石がきを築き、ヨアブは町のほかの部分を繕った。 こうしてダビデはますます大いなる者となった。万軍の主が彼とともにおられたからである。 ダビデの勇士のおもなものは次のとおりである。彼らはイスラエルのすべての人とともにダビデに力をそえて国を得させ、主がイスラエルについて言われた言葉にしたがって、彼を王とした人々である。 ダビデの勇士の数は次のとおりである。すなわち三人の長であるハクモニびとの子ヤショベアム、彼はやりをふるって三百人に向かい、一度にこれを殺した者である。 彼の次はアホアびとドドの子エレアザルで、三勇士のひとりである。 彼はダビデとともにパスダミムにいたが、ペリシテびとがそこに集まって来て戦った。そこに一面に大麦のはえた地所があった。民はペリシテびとの前から逃げた。 しかし彼は地所の中に立ってこれを防ぎ、ペリシテびとを殺した。そして主は大いなる勝利を与えて彼らを救われた。 三十人の長たちのうちの三人は下っていってアドラムのほらあなの岩の所にいるダビデのもとへ行った。時にペリシテびとの軍勢はレパイムの谷に陣を取っていた。 その時ダビデは要害におり、ペリシテびとの先陣はベツレヘムにあったが、 ダビデはせつに望んで、「だれかベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をわたしに飲ませてくれるとよいのだが」と言った。 そこでその三人はペリシテびとの陣を突き通って、ベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をくみ取って、ダビデのもとに携えて来た。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主の前に注いで、 言った、「わが神よ、わたしは断じてこれをいたしません。命をかけて行ったこの人たちの血をどうしてわたしは飲むことができましょう。彼らは命をかけてこの水をとって来たのです」。それゆえ、ダビデはこの水を飲もうとはしなかった。三勇士はこのことをおこなった。 ヨアブの兄弟アビシャイは三十人の長であった。彼はやりをふるって三百人に立ち向かい、これを殺して三人のほかに名を得た。 彼は三十人のうち、最も尊ばれた者で、彼らのかしらとなった。しかし、かの三人には及ばなかった。 エホヤダの子ベナヤは、カブジエル出身の勇士であって、多くのてがらを立てた。彼はモアブのアリエルのふたりの子を撃ち殺した。彼はまた雪の日に下っていって、穴の中でししを撃ち殺した。 彼はまた身のたけ五キュビトばかりのエジプトびとを撃ち殺した。そのエジプトびとは手に機の巻棒ほどのやりを持っていたが、ベナヤはつえをとって彼の所へ下って行き、エジプトびとの手から、やりをもぎとり、そのやりをもって彼を殺した。 エホヤダの子ベナヤは、これらの事を行って三勇士のほかに名を得た。 彼は三十人のうちに有名であったが、かの三人には及ばなかった。ダビデは彼を侍衛の長とした。 軍団のうちの勇士はヨアブの兄弟アサヘル。ベツレヘム出身のドドの子エルハナン。 ハロデ出身のシャンマ。ペロンびとヘレヅ。 テコア出身のイッケシの子イラ。アナトテ出身のアビエゼル。 ホシャテびとシベカイ。アホアびとイライ。 ネトパ出身のマハライ。ネトパ出身のバアナの子ヘレデ。 ベニヤミンびとのギベアから出たリバイの子イタイ。ピラトンのベナヤ。 ガアシの谷のホライ。アルバテびとアビエル。 バハルム出身のアズマウテ。シャルボン出身のエリヤバ。 ギゾンびとハセム。ハラルびとシャゲの子ヨナタン。 ハラルびとサカルの子アヒアム。ウルの子エリパル。 メケラテびとヘペル。ペロンびとアヒヤ。 カルメル出身のヘズロ。エズバイの子ナアライ。 ナタンの兄弟ヨエル。ハグリの子ミブハル。 アンモンびとゼレク。ゼルヤの子ヨアブの武器を執るもの、ベエロテ出身のナハライ。 イテルびとイラ。イテルびとガレブ。 ヘテびとウリヤ。アハライの子ザバデ。 ルベンびとシザの子アデナ。彼はルベンびとの長であって、三十人を率いた。 またマアカの子ハナン。ミテニびとヨシャパテ。 アシテラテびとウジヤ。アロエルびとホタムの子らシャマとエイエル。 テジびとシムリの子エデアエルおよびその兄弟ヨハ。 マハブびとエリエル。エルナアムの子らエリバイおよびヨシャビヤ。モアブびとイテマ。 エリエル、オベデおよびメゾバびとヤシエルである。