仕える喜びSample
神と人間の和解
「あのティラミスは死ぬほど美味しい」「あの子の世話は死ぬほど手がかかる」「恥ずかし過ぎて死にたい」など、私たちが普段の生活の中で、「死ぬ」という言葉を何気なく使っていると気が付いたことはありませんか。
イエスが十字架にかかって死なれたのは、死ぬほど美味しかったからでも、手がかかったからでも、恥ずかしすぎたからでもありません。最近ニュースでよく耳にする自爆テロの犯人のように、悪意に満ちた心で自分の命を投げ出したのでもありません。イエスは、罪を犯した全人類を死から救い、永遠の命を与えようとなさったのです。その目的を達成するために、ご自身が敵によって痛めつけられ、殺されることをお許しになりました。
「そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです」(へブル人への手紙2章17節)。
イエスがへりくだって人間としてお生まれになったのは、その体を私たちに与えて私たちを救うためだったのです。イエスの血によるあがないは、もうあなたのものです。つまり、神とあなたはもはや敵同士ではなく、イエスのおかげで和解し、神の子どもになることができたのです。これは素晴らしいことです。
Scripture
About this Plan
クリスチャンであるあなたは、キリストに仕える者です。キリストが人々に仕えたように、私たちも他の人たちに仕えることで、神のみこころにかなった生活を送ることができます。このデボーションによって、あなたが神と人に仕えることに喜びを見いだせますように。
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