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仕える喜びSample

仕える喜び

DAY 21 OF 30

私の教会

神は多くの大切な目的のために教会を建てられました。礼拝を行ない、聖書を教え、学び、洗礼と聖さんの礼典を守り、聖徒が交わり、霊的に養なわれるためです。

教会生活のもっとも素晴らしい点の一つは、他の人に仕える機会が与えられることです。イエスは十字架にかかる前の夜に弟子たちの足を洗われました。これは命令ではなく、私たちがこれから取るべき態度を模範として示してくださったのです。

現代では、私たちは特に他の人の足を洗うことはありませんが、例えば他の人が使った食器を洗うなど、色々な形で、イエスのように喜んで他者に仕えたいという気持ちを表すことができます。誰かのために料理をする、子どもの世話をする、会計を管理する、送迎をする、雪かきをする、絵を描く、カードを送る、歌う、相談にのる、活動計画を立てる、IT関連の管理をする、庭仕事をする、など色々なことができます。

すべての国家と同様、教会も完璧ではありません。どの教会にも欠点があります。教会は、完璧に純粋で良い計画を考えることなどできない、罪人の集まりです。伝道においても、人を助けて癒すどころか、時には傷つけてしまうことすらあります。それでも、イエスは教会を通して、たくさんの良い事を成し遂げてくださっています。ですから、教会は大切な、愛すべき存在なのです。

王権の下の祭司としてふるまう

アメリカ生活の中で私が気になった言葉の一つは「消費者」という言葉です。私は、この言葉が自分に当てはめられるのが嫌いです。それはあたかも、この世の資源を使うだけのために私がこの世に存在している、と感じさせられるからです。何かを売りつけたい人にとって、単なる客として定義されている感じがしますし、私が単に物を使ったりサービスを受けたりするだけの、自己中心的な物質主義の人間に思えてきます。

神は、私たちが宗教の消費者にならないよう願っておられます。神はあなたが、礼拝堂にただ座っているだけの人、とりあえず「宗教的な経験」をしている人、日曜礼拝の説教を聞いて映画の評論家のように、批評する人になって欲しくないのです。キリストを信じる信仰に導かれた時、あなたは「王権の下にある祭司」の称号を頂き、神の家族の一員として招き入れられたのです。「王権の下にある祭司」とはどういう意味でしょうか。私たちの王とはイエス・キリストです。私たちは王に仕え、働き、神の言葉を伝える者です。どうか、その名にふさわしく行動してください。

「また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。」(黙示録1章5,6節) 

Day 20Day 22

About this Plan

仕える喜び

クリスチャンであるあなたは、キリストに仕える者です。キリストが人々に仕えたように、私たちも他の人たちに仕えることで、神のみこころにかなった生活を送ることができます。このデボーションによって、あなたが神と人に仕えることに喜びを見いだせますように。

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