仕える喜びSample
律法の下に生まれる
法廷で、被告人に対して最初に行われることは罪状認否です。被告人に対する正式な起訴内容がここで提示されます。
聖書は、今までに生きた全ての人間が神の法廷に立たなくてはならない、と繰り返し教えています。神の聖なる情状酌量がなければ私たちへの判決は全て同じです。裁き主であり、この世の創り主である神には、全ての人間に対する聖(きよ)い義の基準があります。神の律法、つまり神の御心は、聖書によって全ての人に知らされています。全ての人間がその戒めを破りました。ですから、人類は一人残らず有罪なのです。
イエスが誕生し、罪のない人生を送り、私たちの身代わりとして死んでくださったからこそ、有罪だった私たちは神の前で無罪となりました。イエスは私たちと同じ人となって神の戒めに従順に従い、この世の罪の呪いの下で生きてくださいました。「しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです」(ガラテヤ人への手紙4章4,5節)。
なんという恵み深い謙遜な行為でしょうか。父なる神と共にこの世の初めから存在し、この全宇宙をお造りになった神なるイエスが、私たちに永遠の命を与えるというたった一つの目的のために死にまで従ってくださったのです。イエスへの信仰によって、あなたはイエスの聖さを自分の聖さとすることができます。信仰によってあなたは聖いのです。
Scripture
About this Plan
クリスチャンであるあなたは、キリストに仕える者です。キリストが人々に仕えたように、私たちも他の人たちに仕えることで、神のみこころにかなった生活を送ることができます。このデボーションによって、あなたが神と人に仕えることに喜びを見いだせますように。
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